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有機合成化学、量子化学計算、時間分解レーザー分光を基盤として、高機能性フォトクロミック分子や有機ラジカルの開発を目指した物理有機化学の研究を行っています。

Aoyama Gakuin University

Department of Chemistry
Functional Material Chemistry Laboratory

基礎解説Accounts

基礎解説 ⇒ T型フォトクロミック分子 HABI 高速フォトクロミック分子 ビラジカル
論文概要 ⇒ HABI 高速フォトクロミック分子 ビラジカル

ヘキサアリールビイミダゾール(HABI)のフォトクロミズム

  • HABIの黎明期

 最初にHABIのフォトクロミズムが見いだされたのは1957年のことである[1-9]。発見当時お茶の水女子大学の助手だった前田候子先生は林太郎先生のもとで、ロフィン(2,4,5-トリフェニルイミダゾール)の化学発光機構解明の研究に取り組んでいた[9]。ロフィンは1877年にRadziszewskyによって発見された最初の化学発光物質であるが、発光機構については解明されていなかった。前田先生は暗室でロフィンのエタノール溶液にフェリシアン化カリウム溶液を滴下すると、その液が落ちたところから少し離れて光の輪が現れることを観察した。この反応を明るい部屋で観察すると、暗室では光の輪が見えた付近に紫色の輪があらわれ、すぐにその色が消失してしまうことに気が付いた。さらに、フェリシアン化カリウム溶液を大量に加えることによって、この紫色物質が沈殿し、無色に近い色の粉末として得ることに成功した。この粉末をエタノール溶液から再結晶して得られる淡黄色結晶のベンゼン溶液を太陽光にさらすと、溶液の色はみるみるうちに淡黄色から赤紫色に変色するが、暗所に放置することによって次第にその色が薄くなった。結晶状態でも同様な現象が見られた。これが最初に観察されたHABIのフォトクロミズムである。当時、ベンゼン溶液中凝固点降下法によって求めたフォトクロミズムを示す淡黄色物質の分子量はロフィンの2倍に近いことを見出した。ESR測定から、光照射によってラジカルが生成していることを明らかにした。このような実験事実を基にして、淡黄色物質の構造は明らかでないまま、HABIのフォトクロミック反応を報告した。その後の様々な研究により、フォトクロミズムを示す淡黄色物質はロフィンの酸化によって得られたトリアリールイミダゾリルラジカル(ローフィルラジカル)の二量体であることが確かめられ、イミダゾールダイマーの解裂と再結合に基づくフォトクロミック反応であることを明らかにした。
 



HABIのフォトクロミズム

  • 産業用途への展開

 HABIに光照射することによって生成するローフィルラジカル自身はそれほど優れた光重合開始剤ではないが、極めて高い水素引き抜き能を有しているために連鎖移動剤や水素供与体を共存させることによって、高効率な重合開始剤と成りうる二次的なラジカル種を生成する。HABIは255nmから275nmにかけての遠紫外光を強く吸収し、また300nmから375nmにかけての近紫外光領域にも弱い吸収帯を有している。HABIを開始剤とするフォトポリマーの性能向上のために、反応速度と可視光に対する感度増大を目指した研究がなされてきた[10]。現在では種々の増感剤により、青色光はもとより緑色光や赤色光まで感度領域をのばすことに成功している。



種々の増感剤と吸収極大波長

  • 産業用途に適した誘導体の開発

 HABIの前駆体であるロフィンはベンズアルデヒド誘導体から簡便に合成できることもあり、種々の誘導体が暗時安定性、高感度、高効率、低コストを達成するために検討されてきた。Cesconは2位のフェニル基のo位に置換基を導入することで暗時安定性が向上することを見出した。種々の誘導体を合成・検討した結果、合成が簡便かつ、安定なo-Cl-HABIが見出された。さらに4,5位のフェニル基を修飾することにより高感度化、高効率化を達成することに成功した(CDM-HABI)。しかし、原料であるm-メトキシベンズアルデヒドが高価であるため、CDM-HABIに代わる新しい安価なHABI誘導体の開発が行われた。その結果開発されたTCTM-HABIはCDM-HABIと比較すると高感度であり、年間$100,000のコスト削減効果が得られた。




種々のHABI誘導体

  • 感光材料への応用(DuPont社 Dylux)

 HABIの実用化例としてDuPont社によって開発された感光材料Dyluxが代表的である[11]。感光層はクリスタルバイオレットラクトン(CVL、無色)、o-Cl-HABI、1,6-ピレキノンからなっている。紫外線照射でo-Cl-HABIがフォトクロミック反応によりローフィルラジカルを生成し、これがCVLを酸化してクリスタルバイオレットの色素画像が形成される。さらに全面に可視光照射を行うと、1,6-ピレキノンが1,6-ジヒドロキシピレンキノンとなってローフィルラジカルをクエンチするために画像の定着が行われる。
 また、高分子バインダー、アクリレートモノマー、ラジカル発生剤(o-Cl-HABI)、可視光増感剤、紫外光増感剤プレカーサーから構成される感光層を用いた高感度感光性樹脂も発表されている。このように、HABIを用いた感光性ポリマーは数多く発表されており、応用範囲としてはホログラフィー、画像記録、レジストまでに及んでいる。
 より詳しい情報は「Photochemistry, History and Commercial Applications of Hexaarylbiimidazoles: All About HABIs」Rolf Dessauer著 Elsevier Science Ltd.を参考にして下さい。



DuPont社が開発した感光材料Dylux

  • HABIのフォトクロミズムの反応機構

 HABIのフォトクロミズムの反応機構に関しては、時間分解吸収スペクトル、蛍光寿命測定、および時間分解ESRスペクトルによって研究されてきた。ベンゼン溶媒中では253.7nmの光で励起した場合にはローフィルラジカルの量子収率は0.5であるが、ベンゾフェノンを三重項増感剤として用いて、365nmの光で励起した場合の量子収率は僅か0.075である[12]。1991年Krongauzらは低温ESR測定によってHABI二量体の励起三重項状態の検出にはじめて成功し、励起三重項状態からはローフィルラジカルの生成が認められないことを見いだし、励起一重項状態からのみフォトクロミック反応が起きることを明らかにした[12]。一方、ラジカル再結合反応によって二量体に戻る過程が二次反応であることは明らかにされているものの、詳細な機構についての明確な結論は得られていない。
 HABI二量体では、複数の構造異性体の存在が確認されている。構造上は6種類の異性体が考えられる。HABI発見当時、すでにピエゾクロミズムを示すピエゾクロミック二量体とフォトクロミズムを示すフォトクロミック二量体の存在が確認されていた[8]。ロフィンを酸化することによって得られるローフィルラジカルの再結合反応によってHABIを得ることができるが酸化条件を変えることによって、少なくとも二種類の二量体が得られることが知られている。ロフィンを水酸化カリウム−エタノール混合溶媒中で酸素気流下、5℃〜10℃でフェリシアン化カリウムにより酸化すると溶液はローフィルラジカルの色である赤紫色に着色するが、まもなく消色して白色沈殿を生成する。この白色沈殿は瑪瑙乳鉢ですりつぶすと赤紫色に着色するピエゾクロミズムを示す。一方、室温下でベンゼン、水酸化カリウム−エタノール混合溶媒の二層間酸化すると、ベンゼン層から黄色のフォトクロミック二量体が得られる。ピエゾクロミック二量体は溶媒に溶かすとラジカル解離反応を起こして溶液は赤紫色を呈す。すなわち、再結晶法によりピエゾクロミック二量体の単結晶を得ることはできない。このピエゾクロミック二量体をベンゼンに溶かし、溶媒を濃縮して暗中に静置することによってフォトクロミック二量体の結晶を得ることができる。この結晶に紫外線を照射すると赤紫色に変色するフォトクロミズムを示す。またこの結晶を溶媒に溶かしただけではラジカル解離反応は起こらないが、紫外線照射によりフォトクロミック反応が見られる。



HABIの構造異性体

 1966年にWhiteとSonnebergは赤外線吸収スペクトルからフォトクロミック二量体として1,2'-isomerを、ピエゾクロミック二量体として4,4'-isomerの構造を提案した[13]。しかし、1972年になって日本の研究グループはNMRによって3種類の異性体の構造を明らかにした[14]。彼らは二量化反応によって生成する3種類の異性体をシリカゲル薄層クロマトグラフィー法によって単離精製することに成功した。その結果新たなフォトクロミック二量体とフォトクロミズムを示さないサーモクロミック二量体の存在を確認した。従来見いだされていたフォトクロミック二量体はWhiteらが指摘した1,2'-isomerと同一であるが、新たに見いだされたフォトクロミック二量体は1,4'-isomerであることを明らかにした。また、サーモクロミック二量体が2,4'-isomerであることも突き止めた。室温ではローフィルラジカルの再結合反応によって1,2'-isomerが96%、1,4'-isomerが4%生成する。100℃の高温条件下では1,2'-isomerおよび1,4'-isomerはそれぞれ14%、18%しか生成しないが、2,4'-isomerが68%も生成する[15]。すなわち、エネルギー的には2,4'-isomerは3種類の異性体の中で最も不安定であると考えられる。一方、ピエゾクロミック二量体は溶媒に溶かすだけでラジカル解離反応を起こしてしまうために分子構造の同定は行われていないが、赤外線吸収スペクトルから判断すると、WhiteとSonnebergらの提案した4,4'-isomer よりも、むしろ2,2'-isomerの方が妥当であると考えられる[15]。

  • 参考文献

1) Hayashi, T.; Maeda, K. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1960, 33, 565.
2) Hayashi, T.; Maeda, K. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1962, 35, 2057.
3) Hayashi, T.; Maeda, K.; Takeuchi, M. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1964, 37, 1717.
4) Hayashi, T.; Maeda, K.; Morinaga, M. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1964, 37, 1563.
5) Maeda, K.; Hayashi, T. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1969, 42, 3509.
6) Maeda, K.; Hayashi, T. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1970, 43, 429.
7) Shida, T.; Maeda, K.; Hayashi, T. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1970, 43, 652.
8) 林太郎, 前田候子, 日本化学会誌, 1969, 90, 325.
9) 前田候子, お茶の水の40年を振り返って, お茶の水女子大学理学部化学教室 1996
10) Monroe, B. M.; Weed, G. C. Chem. Rev. 1993, 93, 435.
11) 山岡亜夫, 高分子学会編高分子機能材料シリーズ6「光機能材料」共立出版 1991
12) Qin, X.-Z.; Liu, A.; Trifunac, A. D.; Krongauz, V. V. J. Phys. Chem. 1991, 95, 5822.
13) White, D. M.; Sonnenberg, J. J. Am. Chem. Soc. 1966, 88, 3825.
14) Tanino, H.; Kondo,T.; Okada, K.; Goto, T. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1972, 45, 1474.
15) Goto, T.; Tanino, H.; Kondo, T. Chem. Lett. 1980, 9, 431.

HABIに関する論文概要

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